2006年07月13日

ブラックジャックたち 15 すべての卵を名医に 研究より臨床育成に情熱

朝日新聞7月8日夕刊「日本人脈記」より引用致します。

優れた医師を育てる名人たちがいる。たとえば、沖縄の呼吸内科医、宮城征四郎(67)だ。▼新潟大学を卒業して故郷に戻り、1972年から沖縄県立中部病院に勤務した。1996年から約7年間、宮城は院長として県と協力して医師の養成に努めた。島々からなる沖縄には医者がいない地域が多く、卵たちを一人前の医師にする必要があった。20060713_BJ_1.jpg▼2003年、宮城は「群星沖縄」【http://muribushi-okinawa.com/】をスタートさせた。14の病院が集まり、卒業したての新米医師の臨床研修を引き受ける機関だ。▼名医を育てるには、いい師が教え、経験を積むことに尽きる。宮城は病状を細かく観察し、診断するプロ。若い医師に直接指導するだけでなく、群星沖縄に参加する病院を巡回し、指導する医師に教え方を伝える。宮城の分身と言える指導医を「群星の中に10年で100人つくる」のが目標だ。▼「一部の変わり者、天才だけがブラックジャックでは困る。すべての医師にそうなってもらわないといけない」▼「国民は優れた臨床医を求めているが、これまで日本の大学がつくってきたのは学者ばかり」▼「一つのことしかできない医師は大都会の大病院でしか勤まらない。医師のせめて半分は、何でも診る一般医でなければならない」▼宮城の思いは熱い。全国各地の病院で指導法を教えているが今年4月、香川県で講演中に脳出血で倒れた。その朝、教えに行った病院に運ばれて3週間入院した。先生が患者で戻ってきたのだからみんな驚いた。7月に復帰したが、年内は県外での講演などを辞退している。▼米アイオワ大名誉教授で小児科医の木村健(69)。1986年、48歳の時、兵庫県立こども病院外科部長から米国に出た。十二指腸手術などで木村式手術を開発した。2001年に大学を退職、時々帰国して医学教育や臨床指導に励む。20060713_BJ_1.jpg▼臨床医として経験を積むと、専門医の道が開ける。木村は「日本では学会が専門医を作るが、米国では専門医が学会をつくる」と日本の仕組みを皮肉る。▼日本では、学会の幹部は知識や腕前に関係なく専門医の肩書を持つことが多い。一方、米国では、たとえば小児外科の専門医を選考した際は、カナダの学会に頼んで公正に試験した。落ちた医師らは引退し、合格した医師たちだけで学会をつくった。▼木村は2005年に広島大病院の特別顧問となった。研究する病院から臨床優先、名医育成の病院への方向展だ。広島大とアイオア大の現状を比べると格差は歴然とする。広島大は10の手術室で年6千件弱なのに対し、アイオワ大は40室9万件。木村は、設備、人材、意識などあらゆる面で臨床能力の向上に挑戦している。▼「若い人の教育が何より大事だ」と言う日本学術会議会長の黒川清(69)は、人の才能を見つけ、ふさわしい場に引き出す名人だ。この人はできる、と思えば自分のネットワークに取り込む。宮城や木村が医学教育で脚光を浴びた陰にも黒川の引きがあった。▼黒川は腎臓内科医。米国に留学して大学教授になった。先輩に口説かれて帰国し、東大教授、東海大医学部長として何より熱心に取り組んだのが医学教育だった。医学部卒業生に臨床研修を義務付ける現行制度は、黒川の主張をほぼ踏襲した。▼黒川は、米国のメディカルスクールの方式を「日本でも採用するべきだ」と説く。日本では「高校の成績がよいから」と、医師に向かない人も医学部に入る。一方、米国は4年制大学を卒業してから医師になる決心をして医学部の門をたたく。入学選考では、成績以上に人柄や意欲が重視される。▼紹介しきれなかったが、自らの命を削りながら、患者を救っている医師はまだまだいる。若い医師は彼らを手本にしてほしいものだ。そして、ありがとう、ブラックジャックたち。
(このシリーズは編集委員・田辺功が担当しました。本文は敬称略)

朝日新聞夕刊の連載は終了しています。
「日本人脈記」について早急にお知りになりたい方は、
朝日新聞社様に問い合わせして下さいますよう切に望みます。
posted by らいと at 23:27| Comment(0) | 医療・病気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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